ごあいさつ

ごあいさつ 山田 太郎(やまだ たろう)牧師

こんにちは。木下淳夫と申します。

簡単にプロフィールを話させて頂きます。生年月日は、1968年1月24日。奈良県で生まれ、大阪府豊中市、兵庫県川西市で育ちました。両親ともクリスチャンではなく、実家の宗教は浄土真宗でした。

関西学院大学在籍中に、宗教センターでアルバイトをさせていただいたときに、クリスチャンの友人に出会いました。その後、就職した大和銀行在職中に、その友人を通して信仰を持つようになりました。

当時私が住んでいたのは、奈良県だったのですが、日曜日は神戸にあります日本キリスト教団山手教会に通っていました。そして、1993年12月19日、坊向輝國先生の司式で受洗しました。

1994年4月には、銀行を退職して神戸に引っ越しをして、フリーカメラマンとして働くようになりました。1995年1月17日の阪神淡路大震災では、住んでいた地域が大きな被害を受け、引っ越しせざるを得なくなり、一時的に実家で生活しましたが、落ち着いた頃に西宮市に引っ越して、スタジオのアシスタントなどをしながら、写真を通して創造主である神様のすばらしさを証しようと活動を続けていました。

教会では、あたたかい交わりに加えていただき、青年のキャンプなどでも賛美の奉仕をさせていただくようになりました。1998年三田の千刈セミナーハウスで行われた青年研修会で、献身の志が与えられたのですが、自分としては、カメラマンをしながら奉仕をしようという思いがありました。ところが、神学生だった姉妹(現在の妻)との結婚が導かれ、1999年に結婚し、活水聖書学院に入学することになりました。

神学校卒業後、2002年に母教会である山手教会で、一年間奉仕をさせていただいたのち、2003年より、貞光キリスト教会で奉仕をさせていただいています。

貞光に遣わされてから、地域の子育て支援の活動を長くさせていただきました。現在も、幼稚園や小学校で読み聞かせのボランティアや、ときにはマジックショーもしています。

2016年12月隣接する美馬市脇町に建設された、多目的宣教センター三公記念館(みきみきねんかん)でも、ミニコンサート、聖書塾で講師をしています。

趣味は写真、歌、パソコン、野球、手品など。礼拝のメッセージは、YouTubeにもアップしていますのでご覧ください。

私が教会に来たキッカケ

貞光キリスト教会で1957年に洗礼を受け、2019年までイエス・キリストを愛して、感謝の生涯を送られたIさんが2004年に書かれたお証です。

I.さん(2019年に100歳でお召されになりました。)

私は見知らぬこの地へ来て、ここに溶け込めず、独り悶々としていたとき、偶然小学校の講堂で、キリスト教の集まりがありました。私は何も分からずに足を運びました。

そのときに話された聖書の言葉は覚えていませんが、人間は皆罪人で、心の中にはどす黒い血が流れていて、誰一人として、私の心はこんなにきれいですと言って見せられるような人は一人もいないというような話だったと思います。

ではその汚い心をどうしたらきれいにできるか、それは自分では絶対できないから、イエス様を信じることと申されました。そのときから神様は私のような者を憐れと思し召して選らんでくださったのだと思います。

それ以来心惹かれて教会へ通い続けています。

イエス様の愛とは

聖書には「すべての人は罪を犯したので神からの栄誉を受けることができない。」と書かれています。しかし、神様はそんな罪人である私たちを放っておかず、イエス様を通して「私はあなたを愛している」と教えてくださいました。

神様が私たちに求めておられるのは、自分の力で良い行いをしようと努力することではありません。自分が無力な罪人であることを認め、イエス様の十字架の愛を信じることです。

そして日々神様の愛に感謝し、み言葉に触れ、祈りと賛美を捧げることで、私たちは神様の前で清くしていただけるのです。

オアシスとなる場所

聖書には「すべての人は罪を犯したので神からの栄誉を受けることができない。」と書かれています。しかし、神様はそんな罪人である私たちを放っておかず、イエス様を通して「私はあなたを愛している」と教えてくださいました。

神様が私たちに求めておられるのは、自分の力で良い行いをしようと努力することではありません。自分が無力な罪人であることを認め、イエス様の十字架の愛を信じることです。

そして日々神様の愛に感謝し、み言葉に触れ、祈りと賛美を捧げることで、私たちは神様の前で清くしていただけるのです。

オアシスとなる場所

神様は目で見ることはできません。だから、私たちは見えないものに目を留めることを学びます。教会でも自由献金はありますが、礼拝に集うことで金品を強要されることはありません。

お金がないからといって教会に集うことを拒絶されることもありません。教会は、神様の愛を求める人が安心して集うことができる場所です。

貞光キリスト教会は、人数が少ない小さな教会ですが、訪れる人の心のオアシスとなる場所でありたいと願っています。礼拝にいつでもお気軽にお越しください。